北アルプス2003
(穂高連峰縦走)
2003,7,27〜29
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やはり三つ子の魂百までという諺は本当である。昨年、鏡平から見た大キレットの夕照に感動した私は今年そのキレットを歩いてみたいと思うようになっていた。その道は穂高へ至る道なのだが、日本3位の高峰でもある奥穂高岳にどうしても登りたいというより、何よりあのドーンと落ち込んでいるキレットを歩いてみたかった。アルプスもいろいろだなー、とコースを決めたのは3週間前だったが、時期は2ヶ月前にはキープしていた。通説でいう「梅雨明け10日」を信じて昨年のアルプスデビューでもいい思いをした7月下旬に行くことにした。
今年は去年登山直前まで気を揉んだ台風の存在もなかった。よしよしとは思っていたが、
まだ梅雨は明けていなかった・・・。
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今回歩こうと思ったコースは、新穂高温泉から槍平、そこから南岳新道を一気に登って南岳小屋に宿泊した後穂高連峰を縦走して上高地に下りる計画。稜線からの展望を楽しむことを基本とし、南岳小屋、穂高岳山荘、岳沢ヒュッテに泊まろうと考えた。私にしては「ゆっくり」した行程である。
さて、出発は新宿から「さわやか信州号・新穂高コース」というバスに乗った。席は運良く窓側、乗り物では基本的に眠れない(だったら夜行なんて乗るなよー)ので退屈はしないと思った。乗客は満員でウイークデーの登山を目指す連中がこうもいるのかと驚いた。窓側の席に座ったものの座席は4列シートのフツーの観光バスである。これは辛いものがある。隣のおじさんは私より一回り大きいのである・・・。私だって177センチはあるのにもう既にどっかりと座っていて即就寝状態。私の脚は悲鳴を上げている。こんな調子ではエコノミー症候群になってしまう。台数増やしても「さわやか号」なら3列シートのバスを是非とも導入して欲しいものだ。信州という場所がさわやかだけではいけない。
暗いバスの中でそれならばと、持参のMDでお気に入り編集の音楽を聞こうとしたがこれが動かない・・・。こいつは前にどこかにぶつけた時に一部が凹んだもので時々言うことを聞かなくなる。縦横に振ったり、ディスクを出し入れしたり、時には窓枠でコンコンと叩いてみたりと周囲には配慮していたが、こうした音は安眠妨害の何物でもないだろう。そんなことをしていた。談合坂で休憩になったので軽く地面に落としてみたが本当に(というかかなりいかれているが・・・)動かなくなっても困るので音楽はあきらめる。となりのおじさんも降りたので、さっさとバスに乗り込み、脚の位置を確保して狸寝入りを決めこむ。
写真もないのが申し訳ない。夜が明ければ載せるので勘弁していただきたい。中央高速を勝沼まで走ったところでバスは一般道へ。「またかよ」と思ったがここから一般道を走るのが路線なので仕方ない。時間調整なのか高速料金を会社としてケチっているのかわからないがますます退屈になってきたので本当に寝る。
次に起きたのが諏訪のドライブイン。15分止まるというので降りる。小腹が空いたのでおやきを買って食べる。長野に来たらこれをどこかで食べる。私の通過儀礼のようなものである。「ああ、諏訪湖沿岸を走っているんだな」と確認したところでまた寝る。
朝、また目がさめると右にダムが見えた「稲核ダム」とあったのでもう山の中だった。結構早いんじゃない、と思っていたが果たしてトンネルで県境を越えたバスは平湯温泉を通過して、新穂高温泉には午前5時50分に着いた。到着予定時刻が7時だったので相当な早着だが、早く着いてくれるに越したことはないので登山者は誰も文句は言わない。私も1時間貯金ができたと喜んだ。
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やっと写真だ。お待たせしました。去年アルプス行の最後の写真がこれと似たようなものだったような気がする。新穂高から見た穴毛谷方面のものである。実に迫力のある風景ではないか。まさにこの先に道はないと言わんばかりの壁である。実は雨でも降ってあからさまな岩稜歩きが危険だなと判断した時のために「笠が岳コース」の設定もしておいた。しかし、天気は冴えないながらも雨が降るほどひどくはならないとのことだったので、穂高コースに大きな○をつけて届の箱に投函、出発になった。時に午前6時30分。
これから槍平までは蒲田川を遡るようにして登っていく。この景色もすぐに手前の尾根に隠れて見えなくなってしまった。
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ともかく登山道を歩くわけなのでチェックポイントを最低でも地図にある所用時間で行こうと黙々と歩く。単独の登山なので当然だ。ブツブツ言っていたらちょっと危ない。新穂高ではあれほどいた人もそのほとんどはロープウェーで登ってしまったらしく、このコースを歩いている人はほとんどいなかった。また、槍平から来る人もまだいなかった。
川の流れは見えないが、その脇の小さな流れが沿うようにある。胡桃の立派な林を歩く。場所によっては日が差し込み、幻想的な光景が見られたのでその度に三脚を立てて小休止する。そんなことをしている間に3人組、単独者と抜かれていく。まあ、そういった人たちと槍平までは抜きつ抜かれつしていくのだろうと思った。
写真は穂高平小屋の前にあった大きな木。どの登山ガイドにも記していなかったがこれはこれでランドマークなのであろう。とても大きな木だった。天気もごらんの通り青空も見られ、東海地方の梅雨明けがここまで好影響を及ぼしてくれることを願った。ここまでだいたい1時間、水を飲んで出発した。穂高平7時30分発。
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大白出沢の穂高直登ルートを左に見て、さらに進む。その少し先までは林道という感じだったが、この沢、大白出沢でそれも終わり。ここからは山道を歩く。それにしても明るいところに出たなー、というくらい幅の広い沢だった。一体対岸のどこに行けばいいのかと見ると、ペンキの白○印がある。ああ、なるほどと思って前進。
写真ではこんな感じだが、石の一つひとつはとても大きい。こんなものが上から流れてくる増水時は物凄い迫力なのだろうな、とこの岩の間を縫うように対岸へと渡った。
ここの通過時刻、8時5分。
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鬱蒼とした樹林をしばらく歩くとまた谷に出た。地図を見ると「チビ谷」。大きな岩にもペンキでそんなことが書いてあった。ちょっと上を見ると雪渓が見える。いい感じだな(何が?)と思っていてもあそこまで登っていって写真を撮ろうという気にはならない。こんなところでケガでもしたら大変だ。それに見た目より距離というものはあるものなのである。ましてや「高さ」については登ってみてその怖さがわかろうものなので、見た場所からは想像できない。まあ、こんな写真を撮ってさっさと前進するのみである。
写真でも写っているがこの辺からガスがではじめた。天気は崩れてもいいから降ってくれるなよ、とまたしばらく樹林歩きの人になった。
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「滝谷」物凄い場所だと圧倒される。奥に見える滝が雄滝で雪解け水を集めて落ちているのでそれなりの水量がこの場に立っていても確認できた。この場所では槍平から下りてきたいつくかのグループが小休止していた。私は山登りを始める前にこの北アルプスの警備を行っている富山・長野・岐阜の山岳警備隊の手記本を読んでいたので、この滝谷は見てみたいと思っていた。山登りの動機は遭難本というわけである。もちろん登ろうなどという気持ちはさらさらない。危険を通り越して自殺行為そのものである。世の中にはこうした難関にチャレンジする人も多くいるのだからそういうことを私がする必要はない。私は写真を撮るのみである。
そうした大迫力の中でカロリーメイトを食べ、あと槍平まで1時間ちょいで行けそうだと踏んで出発。ここからはまたちょっとした登りである。9時15分、滝谷出発。
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滝谷から槍平まではちょっときつい登りだった。ただ歩いているだけではないので当たり前、重い荷物を背負っているのだ。今まで大きな流れだった蒲田川も渓流となり、その瀬音もつかず離れずになってきた。
写真はそうした場所。水はとてもきれいだ。岸に下りて冷たさを感じることができるほど穏やかな場所ではないのだが、ザックから必要最低限の機材を持ち出して写真は撮っていた。そうした時に自分が写している岸辺にペットボトルを発見。「まったくなー、ここでもこんなかよ」と一瞬興ざめしたが、一通りの写真を撮った後、ザックのある場所まで戻るとそのザックが傾いている・・・。さっきのペットボトルの「六甲のおいしい水」のラベルに見覚えがあったので、すぐに「ここから落ちたのか・・・」とそのほぼ真下にあるボトルを回収するにいたった。まったく間抜けな話、流れてしまったら顰蹙者の烙印を押されるところだった。
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「ああ、水が取り戻せて良かった・・・」と思いながら歩いていくと槍平小屋に着いた。樹林の中の小屋という感じで小屋のそばにいる限りでは「平」という雰囲気はあまり感じない。まあ、要衝で腰を下ろして落ち着ける場所というのもこれからはそうないと思ったので大休止することにした。到着は10時25分。
ここからは槍はもちろん、奥丸山というところにも行けるらしい、ものの本によると滝谷の絶壁の景色がよく見えるらしい。先着の人はラーメンなどを作ったりして休んでいたが、この先は槍に登るようなことを話していた。
私はここから穂高に向かう。南岳新道の始まりである。
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ものの本には、しばらく樹林帯を行き、南沢を渡ると書いてあった。写真がその南沢だが、思いっきり雪渓である。これは渡り始めでちょうど雪渓の末端になっていたので「あー、涼しいのは結構」などと赤いリボン目当てに岩の間を歩いていたのだが、ちょっと登っていくとその岩場が終わり雪渓の上を歩かなければならなくなった。
「・・・・・・」
まさか、穴があいたりしないよな、万が一のためにその辺に落ちている棒を拾って一歩を踏み出す。対岸の赤いリボンがとても小さく見える。距離にすれば2、30メートル、若干登りながら渡る感じである。私以前に渡った人はいるのだろうが踏み跡もはっきりしないのでここぞとばかりオールシーズン用の登山靴で蹴りこんで前進。「見たか南沢、これがキックステップだ」と調子こいて対岸へと近づいた。
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南沢の雪渓を渡りきって一安心 |
さらにその上方。ガスで見えない |
調子こいてゴールが近づいたもののちょっと目指す位置より上に上ってしまったことが判明。ここからが一苦労で、今度はより慎重にカカト落としで軌道修正だ。下降する方が何倍も難しい。下手に動くとバランス崩して滑落一直線なのでこれはこれで怖かった・・・。
渡り切ってみたものの、この先も一人旅かなー、と一瞬不安になった場所だった。
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雪渓を渡ってからはまた登りの連続。3000メートルの稜線に出なければならないので無理はない。ある雑誌には「登りきったれ!急登、急登、急登を!!」などとコピーをしていて一瞬、「面白そうだ」などと思ってしまった自分がバカに思えてきた。
木が生えている間は稜線どころではない。まあ、3時間は登るのかなとじっと地図を見た私だった。
そうは言っても登っていけば景色は変わる。ガスは相変わらずだったが、鬱蒼とした樹林は終わり、樺の木が目立つようになってきた。
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キヌガサソウ、今年も撮りました。 |
キスゲの小群落。結局ここだけ。 |
樹林の中では小さな花しか見られず、撮ることもなかったが、樺の明るい林になってからにわかに三脚を下ろして撮ることが多くなった。山にたくさん登っている人から見ればさほど珍しいものではないかもしれないが、年に一度のお祭り感覚でアルプスに足を運んでいる私にしてみればまさに一期一会、画になりそうなものは何でも撮る。左の写真は去年も撮った花だが、今回はマクロで造形的にドアップにしてみたりと私なりの工夫を施してみた。見たまま撮っても高山植物写真にしかならないので目先を変えているわけである。もちろんスタンダードなものを押さえた上での話しだが。
ガスの中の移動で唯一いいなと思ったことは、暑くないこと。これが晴れていたら相当きつい登りだろう。立ち止まって休むだけでかなり涼しい。撮るものもない時は常にそうあってほしいと思う天候だった。このキスゲ群落は今山行でまさにここだけでしか見られなかった。風も少しあって撮影には苦労したが、これも好みの花なので撮れて良かった。
このキスゲを過ぎてからハイマツが見られるようになってきた。もう背の高い木もない。いよいよ高山という雰囲気が出てきた。
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岩場をぐーっと登ってしばらく痩せた岩の稜線を歩いていくとまた大きな雪渓が姿を現した。しかし、その雪渓はしっかりと道ができていたので恐れることなく通過。そうして写真のような通称「お花畑」を見ることができた。いい加減なコンパクトカメラで撮ったものなのでこんな感じだが、とても美しい光景だった。実際のところ花の名前には詳しくないので白いのと黄色いのが美しかった、としか表現できないところは不勉強の至りだが、まあそれはそれしばらく休憩してそんな写真を撮っていた。場所は地図を見ると南沢カールというところらしく雪渓が下に延びている様子から、キックだカカトだと自分がやっていたあの末端まで行っているようだった。その一番上に自分がいるということがわかった。
ガスはますます周囲の景色をわかりにくくしているが、白いガスの中でもペンキ印はよく見えるので、ガラガラした岩場を縫うように上へと登っていった。
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上方のガスが切れてきた。で、見えたのが岩の壁。まだ相当登るように見えた。「うーん、4時ごろまでには着けるかな・・・」たいして疲れていなかったが、上が見えるたびにげっそりしてきた。時折カラカラという音がするので耳をすますと、カーンカーンと乾いた音がこのガレ場にこだまする。ところどころで落石があるらしい。身に降りかかることとして考えれば自分より上の岩が落ちてきたら助かるまい。下の方にも人は見えないが、不用意な足取りで石を蹴落とすことなども厳禁だ。まあ、ただ登るだけでもそれなりに神経を使うところが高山なのだなと思ったりする。
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おお!小僧今回初登場。南岳小屋の(撮影用?)看板を持って記念写真だ。ここは標高3000メートル。よくぞ登ってきたという高さではある。前項の岩の壁を登りきったところで、雷鳥の親子に遭遇、向こうはいい迷惑だっただろうが、それとなく追いまわしている間にここまで来ることができた。最後の最後で雷鳥にパワーをもらったということだ。南岳小屋到着15時30分。あー、疲れた。
この日は南岳小屋で宿泊。まだ夕食まで時間もあり、南岳頂上まで5分で行けると書いてあるので行くことにする。
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ますますアップの小僧。南岳頂上だ。カメラと三脚だけ持っての移動はとても楽だ。天候はガスの向こうに太陽が見え隠れしている。一気にパーッと晴れてくれないものかと思う。稜線をはさんで西側は岩がゴロゴロという感じ、東側はちょっと怖いなーというカール状になっていて残雪がたくさん残っていた。
この後は小屋そばの常念平とかキレットが見える獅子鼻という断崖上で写真を撮ったりしていた。夕暮れ間近には空だけは晴れ渡ったので雄大な入道雲を稜線と絡めて撮影することもできた。
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南岳小屋付近の写真です
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南岳頂上から東側を覗く |
頂上付近から南岳小屋 |
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常念平から真下。かなり怖い・・・。 |
獅子鼻から南岳を見たところ |
この日の夕方、キレット越しの北穂高を撮ろうと思っていたが、なかなかガスが晴れずにいた。
「写真にならなくてもいいから、姿だけ見せてくれー」と、私。
思いが通じたかどうかはわからないが、5分ほどガスの切れ切れにその圧倒的な黒い山容を見せつけてくれた。
おお!すばらしい!!
これは明日そこに行こうとすることをまさに棚に上げている私のせりふであった。
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キレットを越えて
(2日目:前半戦)
起床3時。外に出てみると満点の星。寒いけど素晴らしいなーと感動しながらヘッドランプを点けて常念平まで行く。当然カメラも一緒だ。眼前には黒々と屹立する北穂高岳が見える。去年は大天井岳からその小屋の灯を見たのだがさすがに近く感じる。このまま朝になれば曙光のキタホは私のものとうっすらとオレンジの帯が広がっている東の空を見ながらそんなことを思った。
しかし、そうは問屋がおろさなかった。またガスが大量発生してキタホはもちろんこの南岳にも襲いかかってきたのである。見えている時と見えていない時とではまったく行動のモチベーションの大きさは異なる。体感温度も同じだ(本当か!)。一気に寒くなってきた。まだこんなに暗いのだから飯でも食べようと弁当を頼んであったので4時に小屋で朝食にした。食べるものを食べたら体温も上がるだろうとまたガスの中を出撃。結果は当然のように寒い。常念平へは西から風が抜けていたのでその直下の大岩の下で風をやり過ごしていると、「すみません。ご一緒していいですか?」一瞬空耳かと思ったが、人の声だった。朝日を見ようとして来たおじさんがいたので、「どうぞ」とその人と二人で何を話すでもなく20分くらい岩の陰潜んでいた。
結局、その朝、北穂も朝日もガスの向こうで見ることはできなかった・・・。残念。
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そうとなれば、もたもたしてはいられない。焦りは禁物だが出発の準備だ。と、まさに小屋を出ようとしている時に、「あの、今日ヘリは来てくれるんでしょうか」と山小屋の人に尋ねる男性の姿がそこにあった。その人の格好は頭から片目にかかるくらい包帯を巻いていて、さらに左手も指が明らかに使えないくらいまたしても包帯を巻いていた。
「ガスが晴れればすぐにでも来るんですけど・・・」と小屋の人は答えていたが、まあ見た目にもケガ人だ。私から見てもここから歩いては下山できないだろうという格好だった。「ヘリを呼ぶ」山でケガをしたらただでは済まない・・・。嫌なものを見たなーと一瞬思ったが、これから行くところはそれくらい気を引き締めていかないとまずい、という教訓にはなったので、前向きな気持ちで出発することにした。時に午前6時。
蛍小僧は大キレットへと突入していった。
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まずは下りだ。とにかく底に下らなければその先の難所も何もない。 クサリ、ハシゴと慎重に下りる。当然このクサリ、ハシゴがなければ 私ごときが歩ける場所ではない。 よくもまあ、こんなところをルートにしたものだと、 下ってから素朴にもそう思った。 |
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だいたいこの辺がキレットの底なのか・・・。 南岳方向を見ているわけだが、これだけでも相当な迫力だ。 南岳と北穂はそれほど離れていないように感じるが、その行く手は ガスがまとわりつきその全貌は常に見えていない。 |
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「底」付近はその辺の岩稜歩きとそう変わらない。高度感もなくスタスタと 歩いていける。カール状になった地形に残っている雪が美しい模様を 作っている。おりしも日が差してきて、おお!晴れるのか、という期待を 募らせる。 |
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ドーン・・・。 今まで見えなかったところも近づけば嫌でも目に入ってくる。 多分これが「長谷川ピーク」 キレットきっての難関である。通過時刻7時半。 |
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ガスの中で全貌が見えなかったのが良かったのかもしれない・・・。 その「ピーク」を無事通過。クサリには必要以上頼らなかったつもりだが なければやっぱり恐ろしくて立ち往生してしまうかもしれない所もあった。 岩場が濡れていなかったのもラッキーだった。滑ったら命はない。 |
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長谷川ピークを越えたA沢のコルで小休止の後は、本格的に登るぞ!と いう雰囲気。相当登ったなー、と思ったところから振り返るとガイドにも あったナイフリッジのピークの全容が伺えた。写真ではわからないが 肉眼ではそのピークに張り付くようにして移動する登山者が蟻のように 見える。やっぱり怖いよなー・・・。それくらいの気持ちを持っている方が 正常な気がした。 |
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このまま登れば北穂頂上に行けるのでは・・・。という希望を打ち砕くかの ように行く手を阻む「飛騨泣き」。こんな地名誰がつけたんだよ、と思う。 もちろん難関だ。どこを歩いていくのかちょっと自信がなかったので 後続の(かなり)年配の夫婦に先に行ってもらった。まあ、この写真に 人が写っていればそれなりのスケールになってわかりやすいでしょう。 ここは、8時40分に通過。 |
で、この「飛騨泣き」を越えてからも、私の「山登り」の範疇を超越するような「登攀」は続くのであった・・・。
しかし、私だって馬鹿ではない。こうした場所に来る前に一応、乾徳山や甲斐駒を登っていてたとえ一箇所でもああした場所を経験していて良かったなー、とここに来て思った。(だからどーしたと思う向きはいるだろうが)やはりステップを踏んだ経験なのだな、と山の中では謙虚に思わざるをえなかった。(珍しい・・・)
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あー、疲れた・・・。蛍小僧はかくして北穂高岳に到達したのであった。展望はなくガスは晴れたもののこの頂上の一部だけという感じだった。しかし、もはや展望や天気のことを度外視してもここへ来たという達成感は大きい。もちろん大休止だ。これから歩く涸沢岳越えもガイド本によると相当の難路だと書いてある。ちなみにこの帽子はカンガルーの皮で作ってあるもので実にフィット感がいい、帽子留めなどしなくても風で飛ばされるようなこともない。いつもはバンダナばかりしている私だが、陽射し防止のためにこんなものを今回はかぶって来た。なかなかいい調子なので今度からもこの帽子をかぶっていくことにしよう。
小屋の前はテラスになっていていろいろな話に花が咲いている。私などは賞味期限の切れたお茶を2本も買いあさっているのがせいぜいだが、涸沢から登ってきた名古屋発単独行女性(24歳)の話ではガスが晴れないかと、私の目の前の席にもう2時間も座っているという。(私が)既婚者なので突っ込んだ話はしなかったが、「まあ、暇だなー」と(私の感覚では)半ばあきれた状態だった。しかし、この3000メートルの稜線、自分より年上のおばさんはあまたいるにしても、こうした女性は見る影もない。短い時間だったが実に楽しいひとときではあった。
ここでは自分の土産に、この山小屋の看板を染め抜いたタオルを買った。部屋の壁にでも張りつけよう。
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小僧、3000メートルの稜線を駆ける!
(2日目:後半戦)
北穂高岳。標高3106メートルもあるんだそうな。小屋からはものの数分なので「ああ、ここか」という感じである。涸沢方面から登ってくれば頂上の後が小屋なので感動の後の一休みというところだろうが、私などは小屋に着いた時点で力が抜けてしまったのでこんな格好で写真に収まっている。
さて、この頂上ではこの日の後半戦のタイトルにある「駆ける」という行為の伏線の出来事がある。これは誰もが体験できることではない。人間パニックになった時にいかに対処すべきかということを私が身を持って読者の皆さんに教えてさしあげたいと思う(大嘘)。
さて、こんな写真を撮れば出発だ、と思ったのもつかの間、いまから向かう南峰、滝谷付近が少し晴れてきたのでコンパクトカメラを三脚からはずしてしかるべき位置に三脚は据え付けた。しかし、またガスが昇ってきてその山水画のような景色さえ真っ白にしてしまった。
まあ、歩いていくうちにそんな景色はこの先いくつでも見られるだろう、こんな天気なのだから。と
出発した。その時の時刻、9時50分。
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北穂から涸沢岳へ
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ひとつひとつの岩峰にも名前があるのだろうが、 そんなものを地図などで調べている暇(というか余裕) はない。せめてポケットからコンパクトカメラを出して こんな写真を撮るのみである。 |
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真下の岩稜は「ゴジラの背」とか言ったような。 確かに見る角度によっては、言い得て妙だと思うような 地形だった。 |
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涸沢の残雪(右下)と前穂高岳から屏風岩に至る稜線 目の前の涸沢は圧倒的なスケールでまるで吸い込まれ そうなくらい広かった。 |
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飛騨側にすっぱり切れ落ちた断崖。 ここで写真を撮っていたその向きの人がいたので、私は 横着して手持ちで周囲の風景を撮っていた。 ここは「疑惑の場所」となった。(何?) |
本当に巨大な岩にへばりつくように移動するところが多く、雨などで濡れていたら緊張度は倍以上だろうというところを進んで行く。しかし、濡れていないのだから靴の性能を信用していれば恐れるに足らず。自分にしては慎重過ぎるくらいゆっくりと進んでいた。時計は北穂を出発してから1時間以上たっていたが、それほど距離はいっていない感じもあった。
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涸沢カールを見事に俯瞰できる場所に来た。ちょこちょこと道中ガスの晴れ間にこのカールを撮ってはいたが、ここは足場もいい場所だったので三脚を立てて自分の写真も撮ろうと思った。
コースも下り道で、下りきった場所が「最低鞍部」と確認できたので、あとは登りだな、という見通しもついた。
で、そこで事が起こった・・・。
「あれ、三脚は?」(私は汗)(皆さんは爆笑)
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ザックの左側にいつもは三脚をポケットに入れてさらにベルト2本で固定している。だからはずそうと思わなければまずはずれることもない。では、なぜ三脚があるべき場所にないのか・・・。時計は11時を回っていた。時間は貴重だったが私はそこに立ちすくみ、15分ほどいろいろなことを考えた。
いろいろなことその@
三脚はどこかに忘れたのか。それとも紛失したのか・・・。忘れたとすればどこか。取りに戻る余裕は?。紛失する条件とは・・・。確かにザックを背にしたりして岩場を通過したことはあったが、それでベルトが切れるならまだしもこんなにきれいに外れるのか?
いろいろなことそのA
私が見ている前で三脚が谷底に落ちたのならそれはそれであきらめるが、ルート上に落ちていることもありえる。この三脚は某雑誌のモニター製品なので懐は痛まないが、改めて買うには大変懐の痛む代物だ。しかもカーボン製の三脚を一度手にして山に登ってしまったこの身にしてみれば、もうカーボン以外の三脚はありえない。
いろいろなことそのB
じゃあ、とりあえず戻るか。しかし、こんな理由で予定を変更した時に限って、その「(つまらない)焦り」がもとで帰らぬ人になるということになったら死んでも死にきれない・・・。そういうことはこんな伏線があった起こるものだ。これは多分自分の不注意だから高い授業料を払ったと思って三脚はあきらめて予定通り前進するのがセオリーだ。
いろいろなことそのC
しかし、この先前進しても三脚なしでは撮れるものも限られる。そんな不自由な思いをするくらいなら、可能性(何の?)を信じて(笑)一度は引き返すべきではないか。何でもないところに落ちていて、「おっこの三脚しっかりしている割には軽いなー、ラッキー」なんて言って持っていかれたら実に悲しい。場所は北穂高小屋からここまで。道は来た道を戻るので不安定な気持ちで前進するよりリスクは少ない。
いろいろなことそのD
北穂まで行ってまたこのコースを戻ってくるなんてことを考えなければ、北穂高小屋に泊まるのがベター。そのつもりでいればゆっくりと探しながら歩ける。混乱した記憶の中ではどこで三脚を立てたかさえも特定できないが、「立てた」と思える場所は頂上以外で1箇所のみ(それが「疑惑の場所」です(笑))。それで北穂に泊まったことで次の日、大キレットの朝焼けが撮れるかもしれない。それこそ人間万事塞翁が馬である。
いろいろなことそのE
そうすればこのコースを一気に踏破して、次の日は岳沢宿泊でちょうどいい。三脚がなければそのまま涸沢に下りて花でも撮って帰るべし。それならあきらめもつくだろう。じゃあ北穂に向かって出発!!
これがおよそ蛍小僧の15分の思考である・・・。
かくして私は来た道を倍以上の早さで戻ることになった。
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人間慌てていると、見えていなかったものが見えたと言ったり、やってもいないことをやったと信じ込むことがあるらしい。私などは実際戻り始めても北穂までは戻りたくない、という気持ちはあったので、「確かあそこでは三脚を立てて写真を撮った」と心当たりのある場所ははっきり覚えていた。それはテラス状になった大岩でガスのかかった岩峰を三脚を使って撮っていた人のいる場所だった。そこから少し離れた岩陰にザックを下ろした記憶はあったので、「そこに違いない!」と思っていた。
しかし、そこには三脚はなかった・・・。そうなるともう疑心暗鬼の世界である。ひどいことに「あの人が持っていった?」とまで考える始末。まあ、よくて山小屋に届けたか、そんな気持ちがなければ私が追いかけるまで、という気持ちでまた北穂山頂を目指した。すれ違う人にもいろいろ聞いてみたが、やはり道中そのへんに落ちているということはないようだった。
頂上直下の残雪で階段を作っている小屋の人に声をかけたが
「三脚の忘れ物は聞いていませんね。ただ、小屋に届いているということはありますので行ってみてください」ということだった。
そうして最後のひと登り。頂上に着いて目を皿のようにして見まわすと、
「あっ、あった。俺の三脚!!」
それはまさしく、コンパクトカメラをはずしてうろうろしたあげくに一眼レフカメラを取り付けようと思った場所にそのまま立てたままになっていた・・・。それからは多少演技して、「あー、忘れていった三脚、やっぱりここだったか」と周囲に聞こえるように言って、脚をたたんでザックへと括りつけた。
これで、この件は落着と言いたいところだが、やはりここで自己批判。一瞬たりとも同好の士を疑ったことに対して自己嫌悪が湧き上がってきた。だからここで謝っても仕方ないことだが、けじめのひとつはつけようと思う。
「自分のミスを棚に上げて疑ったこと、ここに反省し、謝ります」
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頂上でインスタントの食事を作ってさっさと食べれば、出発だ。時刻は12時半、今の調子なら穂高岳山荘までは余裕で行ける。三脚と昼食を手にしたことでさっきまでとは大違い。気力は漲っていたし、それをカバーできる体力も残っている。というわけで、3度目の最低鞍部への道を走破した。
天候が冴えない、ということもこの3回目の移動にとっては好都合だった。
こんな時にいい天気になってしまったら撮影遭難である。だから最大戦速で移動できた。
最低鞍部から涸沢岳まで下りはない。とにかく登るだけである。写真のように一体どこを歩いてきたのか、というような場所もあるが、やはり頼りはペンキ印。どうしてこういうコースを歩かなければならないのか、という疑問など差し挟む余地などないくらい、説得力のある道である。
この印がなければ山が好きでも歩かない人は当然多いだろう。
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涸沢岳。これも3000メートル以上ある山である。北穂高と奥穂高の間にあってその頂上に立ってもなかなかピンとくる山ではなかったが、ここでは展望に恵まれた。写真のようにガスが晴れてきて奥穂から西穂高に至る稜線がこれまた一瞬ではあったが見渡すことができた。コンパクトカメラのフイルムも少なくなってきたのでここには載せられなかったが、一度は見てみたかったジャンダルムの姿も一眼レフの方にはおさめることができた。
この山行では本当にガスに泣かされっぱなしだった(最終日も!)が、逆にこの場所での印象は強くなった。
しかし、奥穂高岳、何と言う山だろう。まるで岩の鎧を着た要塞である。因みに涸沢岳通過時刻は14時10分、山荘到着は14時30分だった。
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下山
(3日目)
穂高岳山荘の一泊は平日とは思えない混雑振りだった。南岳では布団一枚余裕で確保できたので「アルプスはやっぱり平日だなー」と思ったが、一番人気とも言える穂高の峰を目指す人々は私の想像をはるかに越えるほど多かった。それでも週末ともなれば足の踏み場もないのかもしれない。
結局、山荘では泊まるだけになった。夕方、(我が手に戻った)三脚ともにうろうろしていたが、すっきりした天気にはならずにガス絡みの風景を2、3撮っただけにとどまった。
そして3日目になったわけだが、朝4時起床。山でなくても私は旅行先ではこうした時間に目が覚めてしまう。夢も見ることが多いので眠りそのものも浅いのだろうが、この日はバタバタという物音で目が覚めた。風が相当強く、ガスも出ている。この日も朝はだめだなー、とゆっくり出発の準備をする。脚なども筋肉痛のはずなのだが不思議と山行中は朝になって痛くて歩けないということもない。多分気が張っているからだと思うが、この日の行程は「急降下」なのでその張っている気を緩めることが特にあってはならない。
表に出てこんな写真を撮ってもガスがかかっているのがわかる。しかも今日のはかなり濃度が高いようでちょっと吹かれると水滴が明らかにつくほどのものである。これは霧雨なんじゃないか、と行程上の路面の状態が気にかかった。山荘出発午前5時15分。
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3190メートル。奥穂高岳頂上、日本で3番目に高い山である。そこにちょうど6時に着いた。2番目の北岳と2メートルしか違わない。いきなり頂上の写真だが、ここまで来るのにはやはりこの2泊3日で一番辛い天候だった。まず、風が強い。そのほとんどが向かい風なので大変疲れた。そして、山荘を出た直後は素手だったのだが暴力とも言える連続ハシゴがとても冷たく、それを登りきったところでグローブ装着。レインスーツは当たり前なのでツェルト以外は総動員という有様である。それにしても何でこの一番高い所でこんな目に遭うのか・・・。
もう展望どころではない。こんな写真が残るだけでもよしとしよう。晴れていればこの先の前穂高岳でものんびり展望を楽しんでゆっくり岳沢へ下山する予定だったのだが、この強風とガスの密度。3000メートルで雨に打たれる時間は極力短くしたいので吊尾根をこの後快速モードで移動した。
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ただ今、吊尾根移動中。ネガフイルムの枚数も終盤なのでよほどのものしか撮らないと決めたのだが、こんな写真があってもいいだろう。場所など特定できないがとにかく吊尾根上である。上高地から見ると「あー、あんなのは散歩気分で歩けそうだ」などと思ってしまうのだが、やはりそんなに楽な道ではない。路面が濡れているので下りは本当に慎重にならざるをえない。それほど切り立った場所がないので谷底に真っ逆さまということはないと思うが、岩で滑って転倒したり、また頭でも打ったらもう一巻の終わりに近い状態になるだろう。2日前にもこの先の紀美子平でおばさんがスリップしてヘリの世話になったことを穂高岳山荘で耳にした。この紀美子平からの下りがこの日の難所であったので、それだからこそ気負わずにこの吊尾根は移動できたと思っている。
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紀美子平に到着。午前7時。ここで少し考える。こんな天気で前穂に行くのか?ということである。結局は行ったのだが、これはもう勢いというか記念のために行ったと言うしかない。ザックは置いてコンパクトカメラのみポケットに入れてガシガシと登って行った。ちょうど吊尾根で私のペースを作ってくれた黄色いスーツの快速お兄さんも登っているのが見えたので、「やっぱりここまで来たんだから行こうか」という気になったのである。
周りの景色などないに等しいので登りは早い。とにかく登ってそのお兄さんにこの写真を撮ってもらった。
本当に晴れていれば素晴らしいんだろうなと思った奥穂、前穂山頂だった。7時25分、まさに霧の中。
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紀美子平からの下り。重太郎新道と言う。由来はものの本に譲るがガイドで見た通りハードな下りだった。また、ここを登ってくる人にはご苦労さんと言わずにはいられない道だった。さて、写真は岳沢に着く直前の雄大な景色だが、この景色が見られるのも命あってのもの。件の紀美子平からのクサリ場で滑落寸前の目に遭った。
紀美子平を岳沢方面に進むとすぐに長大なクサリ場になる。上から見ると左側は沢に落ち込んでいて路面が濡れている(いなくても)のでクサリに頼らざるをえない状況だった。奥穂からの下りでも長いクサリ場を通過していたのでこれも慎重に下るだけと軽くクサリに手を添えるようにして下降して行ったのだが、やはり傾斜の角度がこちらの方が急だったのか、思わぬところ(そういうものだと思う・・・)でスリップしてしまった。もうその後は何だかわからない状態でその一瞬後にはクサリを両手で握り締めて斜めになった岩の上で寝転がっている状態だった。それからが大変で態勢を立て直そうとしても動けない・・・。自分がどう滑ったか確認できる態勢ではなかったのである。とにかく起きあがろうとしても起きあがれないのでよく見ると背中のザックが谷の方に半分出ていてその岩の角に引っかかっていることがわかった。状態がわかれば上からも人が来ようかという時にこんな無様な姿を晒しておくわけにはいかないと、起きあがろうとするのをやめて、クサリを握り締めている両手を緩めるとスッと下降して脱出することができた。しかし、クサリの終点で落ちそうになったところを改めて見ると、大した高さではないにしても滑った勢いとその下の状態ではやはりただでは済まない状態になっていただろうと思った。特に油断したわけではなかったが、「濡れた岩」「下り」はやはり怖い。二度と経験したくない出来事だった。
そうして、これでもかという下りをヘトヘトになって下りてくると天気はかくの如し、快適な(?)曇天になり、花などもちらほら見られるようになってきて、撮影モードになってきた。その中でもクルマユリとヤマホタルブクロの花はとてもきれいだったので何カットも撮った。もっともこのクルマユリを撮ろうと踏み出した不用意な一歩でスラブ状の一枚岩を仰向けに滑ったという事態も発生したが、これは油断である。登山道上で背中に大きなザックを背負っていたことで間抜けな大の字になっただけで助かった。撮影がらみになるとそういうこともあるのでほいほいと事を起こす前によく足元を確認することが大事である。
うーん、下りはやはり自分にとって大きな課題である。無事に帰りたかったらしっかり注意して歩くべし。
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ああ、上高地。お約束の河童橋である。
しかし、岳沢ヒュッテで一休み(予定では泊まるつもりだったが次の日の予報が雨がらみだったため、今回は通過した)した後、「もう上高地は指呼の場所」と思っていたが、たっぷり2時間近く歩いた。樹林の中に入ってしまえば、「おーい、いつになったら着くんだよ」と同じような道を何度も何度も下っていく・・・。穂高の登山者は岳沢に着くまでにすれ違ってしまったのか、ヒュッテから上高地までですれ違う人はヒュッテが目的とわかる軽装のハイカーか家族連れである。その人たちに共通しているのは靴までも軽装、スニーカーが大半だった。まあ、軽くて楽だろうけど帰りは辛いだろうなー、とその辺の浮石に乗ってはよろけている私は自分のことを棚に上げては心配してあげるのだった。
昼過ぎに岳沢登山道入口に到着。周囲は既に観光地・・・。山のお花畑を見た後では花のピークをとうに過ぎた緑一色の上高地は撮る魅力に乏しかった。岳沢ヒュッテで「今日は上高地で撮って松本に泊まる」と連絡したものの、インスタントの食事を梓川の岸辺で作りながら人馴れしたカモを見ているうちに、「無理して撮ることはない。帰ろう」と判断。そうなれば1泊分浮いたということで自らも観光者としてあとは土産売り場に向かうだけだった。
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2003年北アルプス山行は何だかコースを歩いただけという気がしないでもなかったが、歩けた、というだけでも恵まれたものかもしれない。撮るのはまたの機会、いろいろと歩いてみたいので穂高はまたいつになるかわからないが、今度来た時は必ず大展望をものにしたいと思っている。
北アルプス2003
これでおしまいです